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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団について

ベルリンフィルの歴史と特長

創立は1882年、現在楽団員は115名。元ローラースケート場を改造し、2500名収容のフィルハーモニーを作った(後に戦災で消失)。

ベルリンフィルの首席指揮者
2002〜 サー・サイモン・ラトル
1990-2002 クラウディオ・アバド
1954-1989 ヘルベルト・フォン・カラヤン
1945-1952 セルジュ・チェルビダッケ
1945 レオ・ボルヒャルト
1952-1954
1922-1945
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
1895-1922 アルトゥール・ニキシュ
1887-1893 ハンス・フォン・ビューロー

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下ベルリン・フィル)とは、世界一、二位を争う名門オーケストラだったのです。これだけじゃわからないからもう少し説明しますと、とにかくミスが少ないのです。そしてリズム感が抜群!何十人が同時に演奏しているのに音がひとつに聞こえたりします。また、ベルリンフィルの団員ということに対する誇りが自信に満ち溢れた音に聴こえるのです。そして高給ゆえにいい楽器を使っているので音色がいいのです。また、団員の多くは世界の有名オーケストラなどで活躍後、辞めてベルリン・フィルに入団しています。とにかく全員が先生の先生、つまり校長先生みたいなもんなんです。前に座ってる後ろに座ってるとか関係なく、どこの席からも自分がスタープレイヤーのごとく輝いているのです。

退団していく団員

一方、名声と収入に恵まれたベルリン・フィルでも定年退職を前に退団していく団員もいる。フルトヴェングラーからカラヤンに変わったときも、音楽に対する考え方が合わず、退団した者もいる。

また、フルートのジェームズ・ゴールウェイもソロ活動に専念するためにカラヤンの慰留を振り切り飛び出してしまった。入団テストで他の楽団員を驚愕させた類まれな才能を持つゴールウェイの退団は相当痛手であったであろう。結局、彼に代わる奏者が見つからず、ゴールウェイと入れ替わりで退団したツェラーを急遽呼び戻したというエピソードは有名である。

ゴールウェイは、自叙伝によると、かつて在籍したロンドン交響楽団では楽員同志の敵対的な分裂に悩まされていたようであるし、ベルリン・フィルについても”楽団員が自らの野心と不安感と競争心に支配されていたことは否めない”、と語っている。
結局、ゴールウェイはこうした人間関係に嫌気が差し、そして定年まできちんと勤め、小切手と金の時計を受取ってベルリン・フィルを辞めるというサラリーマン的な人生が性に合わなかったのだ。

コンサートマスターであった、トーマス・ブランディスも弦楽四重奏団とベルリン高等音楽院教授に専念するため、その要職を捨てて退団してしまった。
ドイツでは、オーケストラの団員よりも教授職のほうがステータスが高いとのことで、そういったお国柄もあるようだ。

さらに、最近では大物プレイヤーのシェレンベルガー(Ob)までもが退団してしまった。

邦人プレーヤーたち

最後に、邦人プレイヤーについて少しお話しすると、すでに1959年土屋邦雄氏が日本人初のプレイヤーとして入団したことは賞賛に値する。その後、日本人の誇りでもあるコンサートマスターの安永徹氏が入団し、二名が団員として活躍する。土屋氏が定年退職したものの最近ではヴァイオリンの町田琴和氏、ヴィオラ首席の清水直子氏が入団して現在3名となっている。頼もしい限りである。ただ、弦楽器プレイヤーだけでなく、管楽器プレイヤーも頑張って入団してもらいたいところではある。
女性団員も16名以上となり、平均年齢も低下し、オーケストラの雰囲気もだいぶ変わった。
ところで産休はできるのだろうか?

メンバー構成についてはこちら

 
1882年創立のドイツの名門オーケストラ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは正式名称はBerliner Philharmonikerであり、ベルリン市のお抱えオーケストラとして活動するときはBerlin philharmonic orchestra となる。オーストリアのウィーンフィルハーモニー管弦楽団とアメリカのシカゴ交響楽団、そしてベルリンフィルが世界三大オーケストラとされている。初代指揮者はハンス・フォン・ビューロー。詳しくはベルリン・フィル公式ホームページ

1982年カラヤンとベルリン・フィル団員との間で生じた事件。
クラリネット奏者であるドイツ人のマイヤーをカラヤンが強硬に入団させようとしたが、入団反対で決議した団員投票に従うべきだとする団員側とで確執が生じた。
一時はカラヤンがベルリン・フィルを去るかとも思われたが、マイヤーは居た堪れず、自ら身を引くことで事態は沈静化した。

現在マイヤーはソロで活躍しているが、ソニークラシカルから販売されているベートーヴェン交響曲全集では、正団員と共に演奏している姿を確認することができる。収録当時、マイヤーがプローベ中(試用期間)であったためであろう。貴重なビジュアルである。
ザビーネ・マイヤー公式サイト

私が尊敬する元ベルリン・フィル首席フルート奏者のジェームズ・ゴールウェイ(1939年北アイルランド・ベルファスト生まれ)は1969年から1975年まで籍を置いた、まさに黄金時代を支えた一人なのだ。ゴールウェイの音色は、他の者には絶対に真似のできない大変洗練された音質であり、まさに芸術品と呼ぶにふさわしいものであった。

ゴールウェイはロンドンの王立音楽院とギルドホール音楽学校、そしてパリ音楽院に学び、サドラーズ・ウェルズ・オペラとコヴェント・ガーデン王立歌劇場でオーケストラのフルーティストとして第一歩を踏み出すことになる。そこで7年間つとめた後、BBC交響楽団、ロンドン交響楽団、ロイヤルフィルに在籍した。

そうした中、ツェラーの独立によりソロフルートのポストが空くと、1969年1月27日、ミュンヘンのドイツ博物館でソロ・フルートのオーディションが行われた。この日多数の応募者が訪れ、ゴールウェイは遅刻して登場し、最後の演奏となった。しかし、彼の演奏は素晴らしく、特にその音色の多様さと音楽性に著しい特長があり、メンバーを驚喜させたのだ。ゴールウェイ自身も、”少なくともカラヤン着任後は私を越えるフルート奏者はいなかった筈である”と語っている。

彼もまたベルリン・フィルの弦楽器、特にチェロ軍団には「ケタ外れのテクニックと音色」と評価している。
楽団員が互いに驚きあっているというのだから、それを聴く側はもっとたまらない。実際に黄金時代の生演奏など、終始鳥肌モノであっただろうことは想像に難くない。
こうしてゴールウェイはその年の1月29日に世界的に有名なベルリン・フィルのソロ・フルートというポストを手に入れたのだ。
(1975年7月に退団)

なお、 ベートーヴェン交響曲全集では、3番、7番、8番において、ゴールウェイの若き日の貴重な演奏風景を見ることができ、ファンにとっては感動モノである。
ちなみにゴールウェイは日本のフルートをずっと愛用している。
ムラマツフルート
である。世界でも多くのトッププレイヤーが愛用するムラマツはアマチュアの憧れの的ともなっている。
ジェームズ・ゴールウェイ公式サイト
ゴールウェイ語録
本当のカラヤンとベルリンフィルが垣間見える!?


ローター・コッホ氏(ob)が2003年3月に亡くなられたようです。
コッホ氏は1935年7月1日、チェコのカルロヴィ・ヴァリに生まれ1957年からベルリン・フィルを支えてきたオーボエの名手であり(すでに退団)、スタープレイヤーの中のスタープレイヤーであっただけに衝撃は大きい。個人的には、1969年録音のR.シュトラウスのオーボエ協奏曲が大変気に入っていて、オーボエ奏者ではホリガーと共に好きな奏者でした。
ちなみにゴールウェイ(fl)が退団するとき、カラヤンに頼まれて引止めに行ったのがコッホ氏でした。この時カラヤンから”ジミー(ゴールウェイの愛称)にところに行って優しくしてやってくれ、そして、オーケストラに留まる気にさせるんだ”と言われたようです。
合掌・・

 
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