フィルハーモニーホール(座席数:2,218席)
(本当はホールではなくザールというのですが日本ではホールのほうが馴染み深いので・・・)
フィルハーモニーホール全景
設立の背景と竣工式
第二次世界大戦でホールが破壊され、戦後世界最高のオーケストラに相応しいコンサート・ホールを建設しようという機運が徐々に高まり、1956年、コンペでベルリンの建築家ハンス・シャロンの設計が採用。コンセプトは「人・空間・音楽の新しい関係」。
柿落としは、1963年10月15日、カラヤン指揮、ベートーヴェンの第九が行われた。
この日の午前中には、次のようなオープニングセレモニーも行われた。
まず、シュヴァルベ、ブランディス、キュルヒナー、フィンケの超豪華メンバーによるハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」、ベルリン音楽大学学長であったボリス・ブラッハーによる開場記念のために作曲したファンファーレの初演、また、、ベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第三番も演奏された。
このフィルハーモニーホールはもともとベルリン市の文化センター構想の一環として生まれたものであるが、当時1700万マルクという莫大なコストがかかっている。室内楽ホールも作られる予定であったが、財政事情によりなかなか進行しなかった。
ホール内部の造り
次にホールの造りであるが、ホールは普通、壇上の前にしか客席はなかったが、少しでも客を収容することができるよう、360度客席を設けたのだ。いわゆるアリーナ形式である。外観がサーカスのテントに似ていることからカラヤンサーカス(ツィルクス・カラヤーニ)と呼ばれる。今では世界各地でこのようなホールを見ることができるが、当時としては斬新であり、また後ろの客席からは指揮者の表情が見られるのはフレッシュでもあった。
ただし、このフィルハーモニーホールの客席でいただけないのは、管セクションの真後ろのスペース(第九などの合唱団が収まるところ)にも、客をぎゅうぎゅう詰めにしていることだろう。何もここまでして人を入れるのはどうかと思う。それとも、少しでも多くの人にベルリン・フィルの演奏を聴いてもらいたいということなのだろうか?
一方、舞台が中央にあるということで、音響面では様々な工夫を余儀なくされた。客席を18のブロックに分けて仕切ったり、舞台の上に10枚の反響板を吊したり、壁に木製の反響材を使用したり、また1992年には音響効果をさらに高めるための大規模な修復工事が行われ、残響はわずか1.6秒、まさに世界トップクラスです。建物の外観や内部だけはでなく、他のヨーロッパの伝統的なホールとは明らかに違う音響効果を備えたホールとして、近代コンサート・ホールの傑作として賞賛されています。

舞台後方のブロックは、オーケストラの編成が大きいときには、どうしても管楽器の音が強くバランスは良くはないが、概してどのブロックでも優れた音響効果が得られます。特に舞台前面Aブロックの後方の席とBブロック全席が良いとされています。
また、その他にホワイエ(いわゆるロビー)もここのホールの目玉であり、喫茶コーナーで軽食をとることもできる。また楽員軽食堂があるのも特長です。
なお、1987年に完成した室内楽ホール(座席数1150席)が隣接しています。
ブドウ畑
フィルハーモニーホールの客席はまさにブドウ畑のようだ。実際にそう呼ばれているのだが、観客が入っていない状態で見ると本当に美しい。まさに芸術品だ。しかし、確かにサーカスのようにも見える・・・。
ホワイエ
シンプルな作りながら機能的で抜群のセンスを誇るホワイエ。
この美しいホワイエでカラヤン&ベルリン・フィルの開演を待つことはもう二度と出来ない・・・。
イエス・キリスト教会
フィルハーモニーホールができるまで、ベルリン・フィルのレコーディングの多くはベルリンのダーレム地区にあるイエス・キリスト教会で行われましたが、音響効果に優れていたため、フィルハーモニーホール完成後も時折レコーディングに使われました(73年3月8日まで)。
サントリーホール
カラヤンが監修したホールで、1986年完成。
1988年にカラヤンはベルリン・フィルとともに来日し、モーツァルトの交響曲29番とチャイコフスキーの悲愴を演奏。音の宝石箱と賞賛する。
カラヤンが監修しただけに本家ベルリン・フィルハーモニーホールとよく似た作りになっている。
結局カラヤンはサントリホールにはこれが最初で最後になり、翌年7月に自宅で急逝してしまう。
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